みなさんこんにちは、かっしーです。
明後日でマレーシアに移り住んで丸10年が経ちます。
様々な人が日本から来ては帰り、来ては帰り、の連続で、海外なので必然的に起こることなんですが、今回は10年の間に私が感じた、日本人の精神的貧困(この言葉が公式に存在するかはさておき)についてのお話をしようと思います。
私のお金の使い方
私は、基本的には無駄遣いをしません。自分が認識している限り、よくファイナンシャルプランニングに出てくる、消費、浪費、投資という3つの言葉を借りるとすれば、出費は概ね、消費か投資しか存在していません。
消費以外は大体投資にまわっています。
なので、例えばいきがりたいからという理由で、女性の前でお金を出すとか、そういうことは全くしませんし、物を買って、あぁ、これやっぱり要らなかったな、、、ともなりません。
靴や服など、人によってはこういう事は多いのではないでしょうか笑
かといって、遊ばないとか、人に会わない、とかそういう事ではなくて、自分の人生に豊かさが与えられる時間のため、”楽しいふり”ではなく”本当に楽しい”のであれば積極的に出費をします。
自分の中ではこれは人生への投資と思っていますが、こういう態度を見て、いちいち打算的と思う人もいるかもしれません。
どうお金を使い、どう生きるかを決めるのは完全に個人の自由であり自己責任です。
私自身、20代中頃まではあまりお金が無かったので、”無いオーラ”は出ていたかもしれませんが、今の雰囲気が当時と比べて変わったかというと、対して変わってないんじゃないかと思います。
これまでの海外生活の中で、大きく変わっているのを自覚していますし、お金に頼った見栄は無い思います。
それでも尊敬する方々からは、私が年下でそんな感じでも敬意を感じますが、”逆”な人達にもしばしば会うことがありました。
表面的なものしか見えない人達
私は特におしゃれしたいとか、見た目を良くしたいとか、という願望は強くないため (まあ、ジャスティン・ティンバーレイクみたいに生まれれば違ったかもですが)、
私が持っている、服や、靴や、カバンや、(駐在員じゃないという)立場を理由に やんや言われることもありました。
「かっしーさん、駐在員じゃないんだったらあんまりお金持ってないんですねー」などと、大勢の前で言われたこともありますし、
「そんなホームレスが使ってるようなカバンやめたら?」のように言われたことなど、他にも多々あります。
今でこそ比較的自由に生きていますが、言われた時はこいつらまじで許さないと思ってたと思います笑
今回お話ししたかったことは、いまだにこういう表面的なもので人を判断して、自分のエゴ、もしくは日本人としてのエゴに囚われ、それから抜け出せないでいる人達の精神的な貧困がやばいという話です。
現地でマレーシア人を見下す人達
日本経済の過去の栄光により、
日本人=上 マレーシア人(東南アジア人)=下
のように思っている人がまだまだいるようですが、
経済的な話だけを取れば、一昔前はそうだったかもしれませんが、今ではどうでしょう?マレーシアの首都クアラルンプールのホワイトカラーの平均年収が日本全体のそれを既に超えているという調査結果もあります。
東南アジア各地域でも、現地の企業に日本人が海外就職してお世話になる、、、という傾向も徐々に強まっており、そういう企業の給与・待遇は日系企業より断然に良い場合もあります。
それに加え、経済的にそれほど恵まれていない人達でもマレーシア人のほうが幸せそうです。
何かの数字があるわけではないですが、私にはそう見えます。
おじいちゃん、おばあちゃんが、朝から集まって、1杯30円ほどの茶を朝から飲んで、みんなでガヤガヤ楽しそうなんです。
お世辞にもすごい清潔間がある、という場所ではありませんが、生き生きとしていて、見ているととても幸せな気持ちになります。
そういう人達の、承認欲求や所属欲求は良い具合に満たされているんじゃないのかなーと思います。
日本で、やることもない、会う人もいない、のような人がゲームセンターやパチンコ屋に一日中いる、というような光景が私にはとても印象的です。
そして非常に心配で、中には見栄にこだわり過ぎているために、人に会う機会を減らしてしまった、や、見栄を保つためのお金を使い過ぎた結果資産が残らなかった、ような人もいるはずです。
マレーシアで10年経ち、最近改めて思うことは、
● 経済的豊かさに囚われない豊かさマレーシアにはあり
● 周囲と表面的な価値で繋がっておらず
● 人として繋がっている
● 日本人は表面的な価値を主張し自身の優位性を保とうするが
● 実際には経済的優勢も失いつつあり
● 同時に精神的貧困に陥っている
であり、精神的貧困に陥らないためにまず第一に必要不可欠なことは、現在の日本人が一番苦手であろう、見栄からの脱却ではないかなと思います。
私自身、経済的な豊かさを求めて努めていますが、マレーシアに住んで、現地の人達の普段の生活を見て、自分にとっての精神的な豊かさは何か、を忘れてはいけないと教えて貰った10年でした。